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宗宅寺について
宗宅寺の歴史

堺について

「もののはじまりゃ なんでも堺 三味も小唄もみな堺~『新堺音頭』」とあるように、
 古くは4世紀頃“仁徳天皇陵”をはじめとする『百舌鳥古市古墳群』(大阪で唯一の世界遺産)100数基が造立され既に都市として栄えていた堺が、戦国時代になると南蛮貿易で海外との交流が盛んとなり当時では世界でも珍しい環濠都市を形成、どの大名の傘下にも属さない“自治都市”として更なる繁栄を致しました。そんな商業貿易都市であった事から、堺には日本第一の“もの”・“文化”が集まり、また様々な新しい“もの”がここ堺から発信されたのであります。そんな文化の風薫るハイカラで自由闊達な堺の町において、寛永5年(1628年)当宗宅寺は開基されたのであります。

開基沿革

開基は寛永5年(1628年)江戸幕府を開かれた徳川家康公の13回忌を法縁として当山第1世燈蓮社伝譽上人が総本山知恩院の直末寺院として開基。
しかしそれ以降の経緯については度重なる火災・戦火等に被災した為か詳細については様々な言い伝えはあるがその真偽は定かではない。
僅かに歴代住職の御位牌や寺宝什物が現存するのみである。

近現代

明治時代以降、尼僧寺として師子相承されるも度重なる戦火(堺大空襲)等により境内の荒廃が進んだ為、昭和55年当時同堺区の寶泉寺住職であった随譽順雄上人がその再興を託され第20世住職を拝命、その伽藍境内再興に尽力し現在の堂宇伽藍の様相に至る。

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